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[電波] okajimania の予想するフォトリアルの先1

Layers of Fear が予想を遥かに越えた驚かしっぷりで疲れたので、たまには意識高い系くりえいたーとして電波を飛ばしてみます。


先週末に上野の国立博物館に行って兵馬俑展を見てきました。僕は童子切安綱を拝見したかっただけなんですが、母親が上京したなら見たいと言うんで…
で、仕方がないから見てきたんです。

中国人が多くて流れがスムーズじゃないという地獄を味わいながら、そこに展示されていたものを繁々と眺めていたんですが…兵馬俑の主要人物は顔と体が別に作られているんですよ。
ゲーム業界的に言えば、顔だけハイポリで体はローポリなんです。正確には、顔>手>体という優先度で作り込まれてます。
実はコレ、鎌倉時代のリアル系仏師と同じ発想なんです。(注: 平安時代まではリアル思考じゃないです。)
慶派の仏師が作る坊さんの木彫(黒いやつ)は、顔と手が異様にリアルなんだけど、服は作り込んでいないというかローポリなんです。

そして、もうひとつ。
PS3 世代の龍が如くも顔と手にリソース割いているんですわ。


これって恐らく共通の理由があって、色々な制約条件の中でリアルな人物像を作ろうとすると、アジア人(?)は顔と手に注力するんじゃないでしょうか?
全体的なバランスよりも要点に注力したほうが良い、もしくは服を作り込む必要は無いと考える傾向があるのかもしれません。

なお、ローマ時代の彫刻は全身同じくらい作り込んでいるので西欧には無い傾向だと思います。


この辺を頭の片隅に入れておくと、外国のデザイナと仕事するときに良いのでは?

今日はうつ MAX だし眠いので続く。



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